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完全フィクション
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言葉が心に突き刺さる。

あなたのその何気ない言葉が、私の心に。



言葉が心に突き刺さる。

気が付けば人を好きになっていた。私はあの人の一言一言が、じんわりと胸に浸みて、時には痛め付けられて、一喜一憂しながら、毎日を過ごしている。



言葉が心に突き刺さる。

共感する曲の歌詞に。今の私には、強い想いがある。だからこそこんなにも切なく、涙を流したり、音楽に心を動かされているのだと思う。経験して初めて、音楽に、歌詞に、共感出来る。増えて行く。広がって行く。



言葉が心に突き刺さる。

あなたを繋ぐその言葉が。あなたの紡ぐその言葉が。私があなたを受け入れれば受け入れる程、深く深く、あなたの言葉を歓迎する。



言葉が心に突き刺さる。

時にはあなたと喧嘩する事もある。その時はきっと、あなたの本音では無いかもしれないけど。そう思うのは甘いのかな。私はあなたの言葉で深く傷つく。仲直りすれば忘れてしまうようで、たまに思い出しては、その言葉が心を苦しめる。



言葉が心に突き刺さる。

あなたが別れ際に放った言葉に。私は大きく傷ついた。もちろんあなただって、今までずっと私の言葉で傷ついて、今は満身創痍、傷だらけなのかもしれないけど。ダメね私。自分の事しか考えられないのかもしれない。だからあなたが別れを切り出した時、悲しくて涙が溢れ出て来たけれど、勝手な私が悪いんだと、受け入れる事にした。



言葉が心に突き刺さる。

事すら懐かしく思えて。あなたの言葉のひとつひとつが、私の心に突き刺さったまま。その痛みは、あなたを思い出せるスイッチでもあり、そうする事の喜びでもあり、あなたがいない事を再確認する悲しみ、痛みでもある。心の中が空っぽになったような気持ちでいたけれど、あなたの言葉が私の心に残ったままでいる。



言葉が心に突き刺さる。

誰かの言葉は、あなたほど私に感動を与える事は無くて。もしそれが出来る人が現れたなら。あなたの言葉を超える事が出来たのなら。また一歩歩き出せるのかもしれない。何も無いような顔をして過ごすフリをしているけれど、もう少しだけ足踏みさせて。突き刺さったあなたの言葉は、じんわりと溶けて、思い出になる。



言葉が心に突き刺さる。

しばらくして、何とも思わなくなった。突き刺さっても素手で心からその言葉を引き抜いて、捨て置ける。時に心に閉まっておく。もしかしたら、物凄く痛い言葉が来るための準備をしているのかもしれない。





私の心に、





言葉が。
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相変わらず何も無い繰り返す日常。

本当に私には何も無くなってしまった。好きな事や物、人。自分のせいもあるのかもしれない、何度も裏切られて何も信じられなくなってしまったら、何も楽しく感じなくなってしまった。

「死にたいな。」

空元気を出したり、愛想笑いを繰り返すたびに、そう呟いていた。限界なのかもしれない。

たった一人、夜の道を歩く。思い出すのは楽しかった出来事。だけど心は昔ほど何かを感じる事なんて無い。

きっと私は、感性が死んでしまったのだと思う。

鏡を見れば、つまらなそうな顔。いや、それは正しく無いのかもしれない。何にも興味を示す事が出来ない、ドロッとした死んだ眼を見て、私の心は死んでしまったのだなと悟った。

家族が心配しているから。知り合いが心配してくれるから。とりあえずは何事も無いように見せかけているのだけれど、きっと悟られているのだろう。私から諦観が滲み出ているのだろう。心配している表情が周りから消える事は無かった。

けれどもこればっかりは、全てを失ってしまってから何を取り戻せると言うのだろう。もう何一つ、この手のひらから零れ落ちて、残っていないと言うのに。世界は全てモノクロームに色褪せてしまった。希望と言う言葉を聴けば失笑が漏れる。こんな世界に何を期待すると言うのか。少なくとも私には、何も期待できないのだ。

いっそふさぎ込んでしまえたらどれだけ楽な事だろう。だけれども病気と言う名の精神異常を目の当たりにして、ああはなりたくないと思ったし、真似事でも出来るだけまともなままでいようと思えただけ救いがあったのかもしれない。

残された義務は先立つ家族をいつか看取る事だけだな…と淡々と毎日を過ごしていた。

幸せそうな家族を見れば、幸せそうだな、と思う。そこにひがみや嫉妬なんて無い。それが出来る人は、まだ希望があるんだなと、切に思う。何もかもが無くなってしまった今、正直私には何も望むものなんて無い。家族を思うと自殺を選択する事なんて出来ないし、死がやって来るその時までただただ待ち続けるしか無いのだ。

世界は、私の外にある。

喜怒哀楽の感情を発せている人を見て、何かしら思うのかもしれないが、私はその時、感情を棒読みで呟いているだけなんだろうと思う。そこには心の動きが何も無い。

悲しければ涙も出て来るのだろう。だけれども涙さえ枯れ果ててしまった。寂しい事なんだろうな、とぼんやり夜空を見上げて思った。
いつしか、PCが普及し、ネットが広がって行った事によって、顔を隠し、悪口を言う人間が多くなったのだと思う。

それはとても情けない事なのだけれど、いつの間にか現実でもそれが我慢出来なくなって、理不尽なクレームを付けたりするような客も見掛けるようになった。

それは傍から見ていてとてもみっともないもので、そうした事で手に入れられるものなんてどうでも良いものばかりで、そんな物の為に人間の尊厳をかなぐり捨ててまで人を傷付ける事を選ぶのかと悲しくなってくる事もある。

何よりもそうする事を『面白い』と思ってしまっている病気の様な人間がいる。そこには何も得られるものが無く、ただただ空虚な一過性の自己満足だけを満たす為にそうしているのが私には理解出来ない。永遠に続くわけでも無ければ言った側には何の得も無いと言うのに、中毒者の様に繰り返す。時にそれは犯罪にすらなり得る程に悪質なものにもなってしまうと言うのに。

自分が誰かに嫌だと言えない事で命を落とすような人間がいる時代に、言いたい事が言えた方が安全だったり少しだけ良い立場になれるなんて事もあるのかもしれない。しかしそれはもっともっと大きなものを失っている事に気付かず、失い続け、最後には辻褄が合わなくなって、自分のせいなのに他人に憎悪を撒き散らす悪循環に陥ってたりする。そうなるともうその人生は救いようがなくなってしまう。取り戻せるとしても、倍以上の時間が掛かる事だろう。

それ程に無駄な事を何故壊れたおもちゃの様に繰り返すのだろうか。自分の過ちさえもどんなものなのかわからずに、殺した人間が生き返るなどと言う妄想すら、現実と誤認してしまう程に頭にエラーを起こしてしまっていると言う事すら気づかないのだ。恐怖としか言いようが無い。

国が政治が、自分の利益の為だけのものになってしまっている以上は致し方無いとも思えるのだが。幸せや充実、成功からはどんどん遠のいて行ってしまっているのに、それが自分の責任だともわからずに、崩れ落ちて行く様は、とても見れたものでは無い。そこにある種の残酷さを孕んでいる。

そして理不尽に自分の人生が終わっても気付かないのかもしれない。

「どうして自分だけが」

「どうしてこんな目に遭わなければならないのか」

そこまで積み重ねて、積み上げて道を歩いて来たのは自分なのだ。後悔してももう遅い。クレーマーとは、自分の人生を壊す為の職業なのかもしれない。
華やかな街並みを眺めて、ネオンサインを横目に酔っぱらって練り歩くよりも、自然が好きだと君は言った。

不便さから言って自分には田舎は似合わないし、どうにも都会の方が何かと気楽でも便利でもあるのでそこに育った私には何かと住み心地の良さを感じているのだけれど。

退職理由第一位の人間関係のトラブルなんて話も、ハリネズミの恋愛よろしく、適度な距離を保っておけばそれほど私の時間が浸食される事も無く。それほどでも無い人とは距離を置いて、好んでいる人とはそれなりに同じ時間を過ごして。心情的に何不自由の無い生活を送れていると自負している。

仕事にストレスが無いかと言えば嘘になるけど、それなりにスキルアップも順調に進み、充実もしていると思うので特に転職したいとか不満がある訳でも無い。忙しければ疲れ、暇ならつまらないなと呟く程度の事だ。

言いたい事は言っているし、言われてもそれほど気にしない。だから私は今の生活にとても満足していると言えるだろう。都会っ子だなと鼻で笑われようとも、私自身が満足しているのだから、腹の立つことも無い。心身ともに健康的な毎日と、たまに不健康な一日を十分に送れているんじゃないかと思っている。

世界はこんなにも混乱の最中ではあるが、自分の乗る乗り物や行く場所が、今の所爆発したり天災にあったりと言う事も無く。たまに申し訳無さすら感じたりもするのだけれど、なかなかに平和な日々を送れている。

だからこのまま歳を重ねて死んでしまっても、きっと良い人生だったなと振り返る事が出来るだろう。幸いにもそこそこ頑張って稼いでいるし、時に思い立って贅沢な食事や旅をする事も出来ているから、思い出も増えて行くばかりだ。

いつだったかの遠い昔。ごくごく平凡な毎日を生きる事を鼻で笑っていた事もあったけれど、なんて事は無い。何十年も生きてみれば、私の結論はとにかく平凡で平和な毎日こそが最高だと言う事だ。

今では退屈な時間すら、私にはいとおしく思えて、声が漏れてしまう程に笑ってしまう時もある。それが幸せと言う事では無いだろうか。誰を憎む事も無く、好きな人を好きだと思え、楽しく生きて行く事が出来るのだ。そしてそれこそが普通で、誰もが過ごす事の可能な、とても大きな幸せだと言える。波乱万丈なんて疲れるだけさ。

刺激を求めて私自身動く事もあるが、それも平和な毎日があってこその事だ。誰にも邪魔されず、このまま生きて行きたい。
どこまでも続くらせん階段を、私は登り続けている。

一体どれだけ歩いたのだろう。私はいつどんな理由でここを登り始めたのかすら忘れてしまった。

そしてどこまで、いつまで登れば頂上に辿り着けるのかもわからない。もちろん引き返すなんて無駄な事は考えたくも無い。

階段の両側にはしっかりとした壁があって今来た道を振り返るか、これから行く道を見上げるかぐらいしか出来ない。

「…少し疲れたな。」

階段を段違いに椅子代わりにして休む事にした。

登る事に夢中だったせいか、お腹も空かなかったからなのか、一体私は食事をどうしてしまったのだろう。何も考えていなかった。無心で歩いていた。だからと言って、人間の三大欲求を忘れてしまうなんて、どうかしている。

三大欲求と言えば睡眠はどうだ。こんな所ではまともに寝れないじゃないか。一段に横になったとしても、寝返りを打ったらゴロゴロと転げ落ちてしまいそうだ。何より狭いし。

「何のために私はここにいるんだ…。」

今まで考えてもみなかった…考えようとしなかっただけかもしれないが…様々な生きる為に必要な事柄を一体どうしてしまったのかすら、忘れてしまっている。

何だかばかばかしくなって来た。どうして私がこんなことをしなければならないんだ。

どうしようかと思慮を巡らせて思いあぐねいてみたが、どうしたって階段を上り続けるしか無い事に気付く。下っても良いのかもしれないが、今まで登り続けて来たんだ。それ自体を意味の無いものにしたら、骨折り損のくたびれもうけだ。

でも、一体いつまで?いつまで登り続けなければならないんだ?

心の奥底から湧いて出て来そうな疑問は、無理やり仕舞い込む事にした。考えるのを止めた。

もしかしたら私は、もう何度も同じような事を繰り返しているのかもしれない。そうして忘れてしまっているのかもしれない。そうしてここまで歩いて来れたのかもしれない。

汗だくになったり、疲れて休んでみたり。そんな事を繰り返して、私はいつまでもこの階段を登り続けて行く。それしか、出来る事が無いから。

少なくとも後ろに引き下がるよりは、今までのように登り続けていた方が、必ず一歩一歩ゴールへと近づいているんだ。私のやっている事は無駄じゃ無い。無駄じゃないんだ。

「人生なんて、そんなものじゃないかな。」

誰の物とも思えぬ声が耳に届いた。私自身の声だったのかもしれないし、疲れ果てて脳が勘違いした幻聴なのかもしれなかった。
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