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完全フィクション
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なんだかぬめぬめぬらぬらとした部屋の中で、なんだ冷房も効かないのかと一人舌打ちしてみたが、どうやら湿度と言う奴が関係しているらしく、空気中の水分が多いと言う事であると知ったのは、大人になってしばらくしてからの事だった。つまり最近の事なのだ。

わからない事を読み飛ばしてきた自分には、わからない事はわからないままにして来たのでこういう事が多々あるのだ。何よりも知識なんてものは知っているものは知っている、知らないものは知らないと素直に言ってしまった方が良いと思うのだがそういう相手がいない場合はその必要性さえなくなるであろう事は薄々感じていた。事実なのに。薄々って。

本を読むのが好きだがわからない漢字はわからないまま読み飛ばして、全体のインスピレーションから何気なく雰囲気を掴み取ると言う、国語力を無視してるのか訓練して育てているのかわからない、いやそもそもその掴んだものさえ指先からすり抜けるような、なんだかこの表現何かの歌にあったな、とか思いながらも本当にそういう内容なのかもわからずに駄読をむさぼり続けているだけなのかもしれない。

誰が何を書こうとも読者たる姿勢からして優劣など付けるつもりは無い。これが高尚だとか、あれは駄作だとか、おかしな話である。結局は自分の好みの上で順位を付けているだけなのだから、手法も主題も違えば、種類自体が違うのだから優劣などつけようはずもないのだ。だから近い趣味の評論家の話を参考に、次読む作品を選ぶ選別作業はとても楽しい。自我は無いのかとお叱りを受けるのかもしれないが、そんなことしている暇があったらひとつでも多くの作品を読む時間が惜しい。ご勘弁願いたい。

もちろん書き手の伝えたい事とはまるで違う捉え方をしている可能性は無きにしもあらずなのだが、それでも涙する事も、腹が捩れるほど笑い転げる事だってあるのだ。それが諸君と同じ感性かどうかは、元々無学な自分には知る由も無いが。

何より諸君と顔を合わせる事など、未来永劫、永久に来ないであろう。なぜなら人に時間を何よりも愛する人間に。『こみゅにけえしょん』などと言う不可解な接続は全く以て不要であるからだ。

もしもそれが適うとしたら、こうして駄文を綴りそれを諸君が読み解く時だけであろう。先に断わっておこう。無駄な時間を過ごさせてしまって済まない。今の自分にはこういったとりとめのないスタイルが何よりもあっているのだ。謝罪。
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何が楽しいのかはわからないが自分はここ数年意味の無い事を繰り返していた。

言うなれば自己満足でしか無くそれでも別に働きたくないと言うわけでは無いのでそこそこ金になる単純作業に従事して日銭を稼いで口に糊をするような生活を続けていながらも、j自己満足を満たすと言う事はそれはいわゆる世間一般で言われる幸せと言うやつじゃあないかと、酒をあおりながらにやりとしてみたりするのであった。

月夜の晩にはぼうっと空を眺めて、何も考えないと言うのは難しいようで実は簡単であるように思えたり、浮かんでは消えるとりとめのない繋がらない連想ゲームにただただ舌鼓を脳内で打ちながらやはりニヤニヤと毎日を過ごしていた。

傍から見たら気が狂っているとしか言いようのない笑顔であったから、顔を知っているものは大層心配した事であろうと余計な心配をしていたがさすがは知人と言う事でよくよくわたくしの事を理解して

「ああ、いつものアレか」

と通りすがりに呟いてみたり、はたまた脳内でそうしてみたりと言う動作を事後報告でわざわざわたくしに伝えてみたりと言うそれもまた何の意味も無い自己満足であろうなあと考える所作をわたくしの為に、そして自分の為にしてくれるのであった。

梶井しであってもレモンを本の塔の上に乗せて爆発を試みると言う暴挙に出た事があるばかりか、何よりもわざわざ自分の愚行を文章にして後世にまで遺してしまっているのだから、凡人たるわたくしめがそのような愚行を、自己満足を行っても何ら問題は無いのではなかろうかと誰とも無くうそぶいてみる。

さあさあただの自己満足ともなれば俺は自由だ、何をしようと何も誰にも迷惑をかける事は無い、ともすれば気付かれる事すらない毎日に花を添える妄想よりも現実的な、無限に広がる愚行の数々を実行しようではないかと賛同者もいないのに心の中でシュプレヒコール。

たまに知人が様子を見に来てくれる事もあるだろうが、その時のわたくしめは俺は僕は特にこれと言っておもてなしを出来るような余裕は無い。陽の水のようにただただ

「御免。」

と繰り返すばかりで、知人の苦笑を誘い、それは会話にもならないのに完結する、いわばわたくしと知人の心の会話なのでは無いかと、そんなくだらない事でも自己満足してみたりしてお花畑の脳内で高らかにラッパをかき鳴らすのだ。それはまるで終末を迎えた形の無い天使のような面持ちで薄笑いを浮かべよう。

私は幸せだ。
何もかもが信じられなくなってしまった。



長年行動を共にした友達に裏切られ、愛を誓った精神を病んだパートナーに
職を失いそうになりながらも、自分の限界以上のサポートを、
愛情を注いでもそれが届く事は叶わず、結局は何も変わらないまま
相手に対する愛情の一切を失う事になり、相手の要望で別れた。

ふらふらと死ぬ気が無いのに駅のホームで電車に引き込まれそうに
なった感覚を味わった事があるだろうか。死にたくなくても自殺しそうになる、
実はそのぐらい苦しくて悲しくて何ら手の打ちようの無い状態に成ることもあるのだ。

精神科医ってのは、少なくとも日本では適当な医者が多い。
治せないなら医師を名乗るな。免許を与える国もどうかしている。
薬によって何千万人もの人間が苦しみの連鎖に引きずり込まれている。

全てが終わった時、どうでも良くなってしまった。いつ死んでも良いと思ったし、
他人のことが考えられなくなった自分には誰かを思いやる事なんて出来るはずも無く、
去っていった友達もいた。自業自得と言えばそうだろう。だけどそんな事は
どうでも良かったのだ。何もかもが色褪せて、何の魅力も感じなくなってしまっていた。

良くある話だと思った諸君は、得てして幸せな人生を送れていると思う。
是非そのまま生きていって欲しいと願う。何故ならこれほどの思いを諸君らに
欠片も味わって欲しいとは思わないからだ。他人の不幸を願う人間は、
そういう思いをしたことが無いのだから、非常に幸せだと思う。
限界を超えてしまうと、他人の不幸なんて冗談でも願えなくなるのだ。





どうしようもない先輩が金を借りに来た。もう裏切られたくない自分は、
飯を奢り、金を渡した。それは何の解決にもならない少ない金だったが、
腹が立ちつつも、困っている人間が頼って来てくれたことが少しだけ嬉しかった。
こんな感情が自分にも残っていたのかと、少し自嘲した。笑えたのだ。

その先輩が転がり込んで来て居候する事になった。仕事を見つけない先輩を
本気で叱る事も何度もあった。実際最後は激怒して追い出すのだけれど。
後でちゃんと仕事を探して来た先輩と、今では仲良くやっている。

生涯愛するであろう女性にあった。これが最後なんじゃ無いかな、
と思うほどこんな素敵な人に巡り合えたのは奇跡でしか無かった。

週末になると、何時間も掛けて会いに行った。雪国なのに大雪で
何度も電車が止まっても、会いに行った。それだけ最高の相手だったのだ。

もしかしたら今までの事はこの人に会う為の練習だったんじゃないかと思った。
結婚を申し込んだ。しかし異国の空から届けられた夢である彼女は、
祖国に帰らなければならなかった。こちらに来てくれた彼女を送った
夜中の帰り道で泣いた。号泣した。自分にもまだ涙が残っていたのかと驚いた。

紆余曲折を経て彼女は共に同じ道を歩んでいる。私は本当に幸せだ。
最後に本当の幸せをくれた。辛い時期を支えてくれた家族にも、感謝したい。


あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン



私が教えたわけでも無いのに嬉しそうに飛び回る子供たち。
とは言っても蛇の目傘なんて持っているわけも無く、
土砂降りの中でカッパを着て遊んでいるだけだが。

洗濯するのがやりがいを感じるぐらい、足元の水溜りに
踏み入れて跳ね回り、見事に泥だらけだ。

しかしながらいつもは口うるさく注意する私も、
水溜りに関しては怒る事が出来ない。
それはそれは遠い昔の話。
憧れのあの人と出会ったきっかけになった話。





その日私は新しい傘を買ってもらった。
物心がつく前から何故か雨が大好きだった私は、
それを教えてくれたはずの両親が不思議がるぐらいに
本当に雨が降れば降るほど上機嫌になるのだった。

今でも雨が降ると嬉しくなる。あまり風が吹いてないほうが嬉しい。
純粋に雨だけが降りしきる一日は、家でじっとしてなんていられない。
長靴を履いてショッピングに出かけるほどの筋金入りの雨フリーク。
しかも雨の日は意外とセールやら割引やらで得な買い物が出来る。

そんな私もその日は、新しい真っ赤なワンピースを着て
同じく赤い長靴でオシャレして、楽しく雨の中を散歩していた。

その辺がまだ子供だった。はしゃぎ過ぎた私は、
せっかく雨の日の為に買ってもらった赤いワンピースを、
滑って転んで泥だらけにしてしまったのだ。

脚を伸ばしてべったりと水溜りに座ってしまった私はとても悲しくなった。



「なにやってんだおまえ。」



後ろから声を上げたのはクラスメイト。あまり話をしたことが無いけど、
どこかかっこいいとみんなに言われていた。でもいつも一人だった。
声を掛けられた私は、知っている顔に安心したのか、声を上げて泣いた。



「しょうがねーな。ほら。」



子供ながらにドキッとしたのを覚えている。ひょいっとお姫様抱っこで
抱え上げられた私は、一度立たされてからおんぶしてもらった。



「おまえのいえ、しらないから。」



ぶっきらぼうにそう言われて、彼の家に連れて行ってもらった。
彼のお母さんに冷やかされながらも事情を淡々と説明して、
私の洋服を洗濯してもらい、お風呂も借りて、無言で彼とプリンを食べた。

後で両親とお礼に言ったりしたけど、
翌日からの彼は何事も無かったように無言。
でも私は彼を目で追うようになった。黙っているけど、
誰かが困ると黙って手を差し伸べてくれる。
そんな彼にぞっこんになった。





結婚した今でも、彼は黙って一生懸命働いて、甘えれば甘やかしてくれる。
辛い時には頭を撫でて慰めてくれる。放っておいて欲しい時には
距離を置いて傍にいてくれる。言葉を交わさなくても、彼の優しさは
私を何度惚れ直させた事だろう。そしてこれからも、子供たちが
育っていく今でも、毎日私は彼を惚れ直している。
私は今日、小旅行に出かける事にした。
憧れの文豪の足跡を辿るためだ。
もちろん既にその文豪はこの世にはいらっしゃらないし、
文献からしか彼の人生を窺い知る事は出来ない。

だけどね、恋は盲目。好きになってしまったのだから仕方が無い。
私は彼の人生を辿るべく、支度を済ませて、家を飛び出した。

彼が生まれたのは田舎も田舎、大自然にぽつんと家があるような所。
文豪と言うと貧乏かセレブか・・・両極端にあるイメージが個人的に
偏見として脳内にあるのだけれど、平々凡々とした彼に
(下世話ではあるけれど)好感を持てた。

彼の通った学校は廃校になっていた。彼はどんな夢を描き、
どんな恋をして、青春時代を過ごしたのだろうか。想いを馳せる。

彼の修行・・・と言うか文章の鍛錬をしていたアパートにも訪れた。
働きながら書き続けていたらしく、人並みの生活は出来ていたようだ。

彼は二度結婚して、離婚している。彼の著作にもその辺の所は
書いてあるのでここでは詳しい説明を省くけれど、恋をしている私にとって、
彼と別の女(ひと)が暮らしていた家を訪れるのは少し辛かった。

だけど、どうしても、彼の人生を辿りたくなったのだ。
私は彼と同じ人生を歩めなかった。だからこそ、後を辿り
同じ道を歩く事で、自己満足を満たそうとした。我ながら
それはストーカーにも似た異常な執着愛でもあったのだと思う。

晩年、彼は一人で過ごした。彼が住んでいた一軒家に訪れた。

彼は、寂しかったのだろうか。辛かったのだろうか。
それとも、一人で悠々と作品に没頭できる事が幸せだったのだろうか。
彼を想い、涙を流した。それが、どういう感情だったか、その時はわからなかった。

そして、今。彼に会いに行く。何故か鼓動が早くなる。嬉しい気持ちと
悲しい気持ちが入り混じる、自分でも説明出来ない気持ちに、いらだちを覚えた。

バスが目的の停留所に着く。はやる気持ちを抑える。もうすぐ彼に会える。
彼の為に花束と線香を買って、住職さんに彼の居場所を教えてもらった。



線香を上げる。彼の好物だった和菓子と、先ほど買った
花束を供えて、彼に手を合わせて挨拶をした。

「今日、あなたの人生を追体験して来ました。気持ち悪いと
思われるかもしれません。けれど、私はあなたへの恋慕を
止めることが出来なかったのです。お許し下さい。」



返事は返って来ない。



彼とはもう、永遠に会えないのだと思い知った。





こうして、私の初恋は失恋として終わりを告げた。
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1987/01/14
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自己紹介:
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