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完全フィクション
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土手沿いを、ただひたすら走る。

別に鍛えようとかやせようとかではなく、なんとなく走りたくなったので走っている。
走っていると、頭の中にいろんな考えが浮かんでくる。ジョギングってのは
考え事をする時にはもってこいの行動かもしれない。誰にも邪魔されないし。

いろいろなアイデアが浮かんでは消える。健康にもいいし、
精神的なストレスも発散できる。これは一石二鳥だ。

別に道路を走ってもいいのだが、排気ガスや足への負担を考えると、
やっぱり緑のある、土の上を走るのが一番いいと思う。
まぁ実際はなんとなくそこで走りたいと思っただけで、
最初はそこまで考えていなかったけれど。

走り終わった後のジュースやスポーツドリンク、水は最高だ。
汗の補給とかではなく、身体が単純に欲しているせいか、
素晴らしくうまい。アルコールは苦手なのでビールとかは飲まない。

頭を動かすことと、運動っていうのは無関係ではないと思う。
特にそういった情報を知っているわけではないが、
脳へ血液がスムーズに流れていく気がする。
勉強にはもしかしたら運動することが欠かせないのかもしれないなと思った。

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洞窟に入って行くと、奥に大きな芋虫が待っていた。

「ありえねぇ・・・。」

剣一本しか用意してこなかった俺は、鎧ぐらい着てくるんだった・・・と後悔した。
表情は芋虫だからうかがい知ることは出来ないが、明らかに俺を狙っている。

「何でこんなでっけえ芋虫がいるかな・・・小さくったって虫は嫌いなのに・・・。」

ぶつくさ言いながら、剣を構えた。

「まぁ、勝てる気はしないけど、食い殺されるぐらいなら戦ってやるよ。」

言葉が通じたのかどうかはわからないが、物凄い勢いで襲い掛かってくる。
相手の口?を剣で防御してはみたものの、吹っ飛ばされる形になり、
壁に叩きつけられた。

「コイツはちと・・・キツいぜ・・・・」

背中をモロに叩きつけられて、むせ返る。

その時だった。

芋虫の後ろから緑色の光が洞窟内に充満したかと思うと、
まるで睡眠ガスにでもやられたかのように、芋虫が力なく崩れ落ちた。

「な・・・・なんだ?」

まだ体内に壁に叩きつけられた際のダメージは残るものの、
注意深く芋虫の奥へと歩いていった。緑色の光はすでに消えている。

「なんだかわからないけど・・・助かったぜ・・・。」

奥へ奥へと進んでいくと、遠くに緑色の物体を発見した。

「あれから光が発せられたのか?」

近づいてみると、台座の上に女性の形を彩ったエメラルド。
こんな美しい像は見たことない。

しかも、エメラルドだと言うのに、形どられた女性の美しさに、
しばし魅入ってしまった。

「・・・・コイツが助けてくれたのか・・・・」

特に宗教を信じるタチでもないのだが、なんとなく両手を合わせ、
感謝の気持ちを込めて祈った。その後は、ただひたすらその美しさに
魅入ったまま、立ち尽くすのだった。

「もう忘れ物はないよね、お母さん。」

「・・・・ん。」

無口な母がうなづくと、私は手荷物を入れたバッグを肩にかけた。

父と母が離婚し、私は父よりも母を選んだ。
父とは会おうと思えば会えるし、もし新しいパートナーが出来ても
邪魔になるだけだろうから・・・。母に新しいパートナーが出来たら、私は離れようと思う。
無口な母の方が私を必要としている気がしたのだ。

父と母は決して仲が悪いわけではなかったが、
私から見てもどこか2人はよそよそしい感じがあった。
見合い結婚だからだろうか?私にはうかがい知ることも出来ないけど。
娘の私から見てもそう感じるのだから、当人同士はもっと実感していただろう。

離婚した理由を知りたいとも思わなかったし、両親共に事実を私に告げただけだった。
玄関の鍵を閉めると、母は複雑そうな顔をしていた。思い出しているのだろう、
ここで過ごした日々を。

「・・・ごめんね。」

母が複雑な愛想笑いで私に謝った。

「もう私だって子供じゃないんだし、別に謝る必要はないよ。
お父さんもお母さんも私にとっては親だから、2人の出した結論を受け入れるよ。
お父さんともこれから先会うつもりでいるしね。」

母は、すまなそうな顔でうなづいた。

私が今まで人を好きになったことがないのも、
この2人の背中を見てきたからかもしれないな。
だからと言ってそれが悪いこととは思わないし、
無理して好きな人を作ろうとも思わないけど。

「じゃ、行こうか。」

無言で母がうなづくのを確認して、からっぽになった部屋を後にした。
神様・悪魔・幽霊・妖怪・おばけ、これらの「見ることの出来ないもの」を
僕は同じものと見ている。人間だっていろんな奴がいるんだ。
ただ、人間側にとってどういう存在であるかと言うことで
種類分けしているに過ぎない。

さて、見えるか見えないかということに重きを置いている人もいるが、
信じるか信じないかということが重要なような気がする。

その人に見えたとしたなら、幻覚だろうが幻聴だろうがきっと
その人にとっては存在しているのだ。その人に「視える」ということは、
確実に存在している証拠であると言えよう。

もし、存在しないのであれば、何故これらの「見ることの出来ないもの」に
姿形が定義付けられているのだろう?本当にそれは空想だけの産物なのだろうか?

大人になればなるほど、そういったモノに遭遇する機会は少なくなる。
それは得てして、現実にしか目を向けられなくなるからだと考察する。
つまり、それらのモノを見る余裕がなくなってしまうのだ。
これは人間にとって悲しいことではないだろうか。

インディアンをはじめとして、精霊はもちろん、先ほど挙げた様々なモノの
存在が当たり前の社会も存在する。それはもしかしたら幸せなことではないだろうか。

例えば、時間だって空気だって見ることは出来なくても存在している。
夢や心だって、実際には見ることが出来ない。
見ることの出来ないものを受け入れるというのは、
ある意味余裕を持って生きることに繋がらないだろうか。

何でも妄信するというのは感心できないけれど、
「妄想出来る余裕」は、常に持ち続けていたいものだ。
現実に飲み込まれる方が、よっぽど怖いからね。
近年、アニメや小説で様々な世界が描かれてきた。
その中には現実に近しいものも多く、
それでいて空想を織り交ぜた内容だったりする。

さて、「想像できる事は人間の力で実現できる」
と言う言葉がある。この言葉は、手塚治虫氏などの物語の内容が、
近年実現されていることからも、用意に確認することが出来る。
リニアモーターカーや携帯電話、TV電話など実現するに至っている。

さて、最近の物語の中に、宇宙に関することや生物の根本に関わる
存在に触れているふしがある。

これは、無意識のうちに物語を通じて、我々の秘密に
触れているのではないだろうか。
もしくは暗に我々人類に「心の準備」をさせているのではないだろうか。

描いている本人も気付いていないかもしれない。
私自身、宗教などは信じないタチなのだが、神様などではない
「大いなる力」とやらに人類は動かされているのではないか。
それは人類全てではなく、適した人物・場所・時間によって
操作されているような気がする。それは運命とは異なったものだ。

もしかしたら我々は近い将来、宇宙の真理を宗教や科学などではなく、
もっと現実的な形で知るに至るのかもしれない。
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1987/01/14
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自己紹介:
夢人に付き合わされた哀れな若輩者
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