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完全フィクション
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私は自殺をしようと思っている。

それも出来るだけ確実に、苦しまない方法が良いのかもしれない。首を吊るにはむごたらしい死にざまになりそうだし、何より決断が出来ないかもしれない。そして苦しいであろう事は容易に想像がつく。

何処かを傷付けて失血死する事も考えたのだが、傷つけると言う事はまず痛いと言う事だろうし、何より自分から流れ出る血を見たり感じたりと言うのは、想像しただけでうすら寒く背筋が凍るような思いをする気がするのだ。

電車に飛び込むとなんだかたくさんの人たちに迷惑が掛かるし、万が一助かってしまったらさらに大変で苦しい状況に追い込まれるであろう。手足の一本ぐらいは持って行かれているだろうからね。

毒薬なんかもってのほかで、致死量で死ねるかもわからないらしい。酷い時は胃腸が受け付けなくて吐き出してしまう事もあるそうだ。そうなってしまうと胃洗浄などをされて入院生活を送る事になるかもしれない。恥を晒す様で辛い。

それなら睡眠薬を…なんて考えたけど、結果は毒薬とそう変わらないような気がする。

何か確実な方法は無いか。何か確実な…。資料を読み漁って出て来たのが、極寒の真冬の雪山で睡眠薬を飲むと言うもの。確かにこれなら後で動物に遺体を食べられたりするかもしれないが、とりあえずは綺麗な死に様にもなりそうだし、凍死の要素も追加で確実性が高い気がする。

そしてさらに調べ進めて行くと、睡眠薬のオーバードーズには、酒と一緒に少量ずつ摂取すれば、胃腸が驚く事も無く成功した事例があるのも見つけ出した。なるほど。これなら雪山でも温かい中で死んでいく事が出来るし、酒を飲みながらゆったりと死んでいくのはなかなか心地良さそうだ。

もうひとつ。もうひとつ何か確実性を増すものが欲しい。胃腸が拒否反応を起こさず、緩やかに死へと迎える方法のとどめが欲しい。決定的なパズルの最後の1ピース。

それは意外な所に存在していた。ふと思いついて冷蔵庫を開けると、中に入っていたのはヨーグルト。薬を飲む時に水では無くヨーグルトに混ぜて食べる人間もいるらしい。酒に睡眠薬にヨーグルト。これなら拒否反応を起こす確率も減りそうだし、酒を先にすれば、多幸感と温かさの中で無理なく死んでいけるような気がする。用意するのもそれほど苦労しないし。

こうして最後のとどめとなったパズルの1ピースは、誰もが入手出来る健康食品でもあるヨーグルトだった。後は死ぬだけだ。
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私はきっと近いうちに殺されてしまうだろう。

この場所には悲壮感が漂っている。中にはそういう奴もいるかもしれないが、私は何一つ悪い事はしていないし、ここにいるほとんどもそうなのだと思う。しかしここには、自分の力ではどうにも出来ないのを悟っているのか、皆諦観の眼差しでその時を待っている。

ひとつ言えば元いた家を飛び出して、飼われる事から離れて家も無い根無し草でいた事が悪い事だと言うのだろうか。自然のあるべき姿が罪だと言われるなら、随分傲慢な人間もいたものだと思う。

いつも来る人間に連れて行かれると、泣き叫ぶものもいれば、全てを受け入れたのかおとなしく連れて行かれるものもいる。不思議なのが、神の救いなのかは知らないが、いつもと違う人間に連れて行かれる時は何やら嬉しそうなのが気になった。そういう奴らは殺されずに済んでいるのかもしれない。ここから出れない私には、その違いが良く理解出来ていないのだが、皆の反応を見ると、そういう事なんだろうと思う。

大勢がこの場所に収容されている。それぞれが会話を交わす事は無い。この先に死があるとわかっているだけに、気が気で無かったり、話してしまうと恐怖が溢れ出て来てしまうのであろうかわからないが、とにかくその時を静かに待っているような気がする。

毎日連れて行く人間の顔を見ると、何とも言えない表情をしている。悲しみなのか、諦めなのか、謝罪なのか…全てがその表情に込められているような気がしてならない。

私もその時を静かに待つ。騒いでも仕方が無いと言う事を、皆の反応や表情を見て知っているからだ。この場所に来てすぐに皆その事を悟るようで、私の後に入ってきた奴も、誰も質問したりなどしない。繰り返す様だが、自分の運命をある種受け入れ、諦めて、ただただその時を待つばかりなのである。

果たして私の運命はどちらに傾くのであろうか。どちらであったにしても、甘んじてその運命を受け入れようと思っている。そして私の勘なのか、何だか今日は私の番が来るような気がするのだ。何かのドアが開く音がする。何とはなしに皆聞き耳を立てる。人の気配。どうやら私の番が来たようだ。





環境省の統計資料「犬・猫の引取り及び負傷動物の収容状況」によると、年の犬猫を合わせた殺処分数は10万匹を超える。そしてその約半数が幼齢個体である。返還数と譲渡数は合わせて5万匹、約3分の1は救われ、3分の2は殺される運命にある。
君は雪国に住んでいるので、会いに行くのは大変だ。特に雪の降り積もる冬なんて、狂気の沙汰としか思えない。

しかしながら私は何度も君の家へと足を運んだ。最後の恋のような気がしていたし、何よりも君が好きだった。だけれどもそれでも自分でも冬の雪国に向かうのは、頭がおかしいとしか思えなくて、何度も笑いが込み上げて来るのだった。

電車で向かうにしても足止めを食らう。深夜高速バスで向かうにしてもなかなかの強行軍。出発の前日に高速道路が近年稀に見る大雪になったりして、笑うしかない状況が何度もあった。

そんな朝を迎えるまで待たされて寝ずに仕事に戻ったりしながらも君との逢瀬を重ねるのは楽しかった。そして君は大学で研究をしていたので、一緒にいてもほとんど論文に時間を取られていたのだが。

そんな中で君の研究室に付き合う事があって。君の家に向かうのもおっかなびっくり。だけれども都会の雪とは違って寒いのでべしょべしょに溶けたりする事も無く、普通の靴で腰が引けながらも歩いているのであった。

研究室は君の家からそれほど遠く無い。それでも私は君のノートパソコンを持って二回ほど転んだのであった。私の事では無く、論文のデータが詰まったノートパソコンの心配する君に心の底から笑ったりして、君がやるべきことをこなすのを隣で見て、君の集めた書籍を読み漁るただそれだけだったのに、君と過ごす時間はとても楽しい時間となった。

君はこの国の人では無いから、時間が来れば祖国に帰ってしまうのを知っていたし、初めて出会った時は分かれてからさめざめとその幸せを噛み締めて涙を流したりもした。その時間は冬の雪国でも、私にとって夢のようで、こんなに寒いのに凍てついた心をゆっくりと溶かして行ってくれるだけの温かさがあった。





君と一緒になる事の出来た今となっては、あの冬の雪国に訪れる事は一生無いだろうけど、私にとってあんなに身体は冷たく、心の温かい時間は無かったのではないかと思い返す事もある。信じられない程積もった雪を目の前に途方に暮れながら、君と会える時間だけを想って待ち続ける事の出来た、とても大切な時間だったのだと痛感している。

今は都会にいて雪が降ればべしょべしょに溶けてしまうけれど、あんなに寒い中何度も足止めを喰らいながらも君に会いに行く事が出来たあの街を忘れる事は無いし、君への想いの強さを何度でも再確認出来る証拠として心に残っている街である。
若気の至りと言ってしまえば言い訳になるのかもしれないけれど、通勤の行き帰りに私は良く叫んでいた。

パソコン関係の倉庫で働いていた。商品を選んで伝票通りにまとめてもらい出荷したり、入庫して来た品物を処理したり、倉庫内で色々な仕事をその日によって任されていた。いわゆるフリーターと言うわけだ。

まだまだ恋多き年頃、大人の異性とも言える方に惚れてみたり、仕事をこなしながら青春を謳歌していた。あまり仕事先の人たちと仲良くするタイプの人間でも無かったが、友達と一緒に勤めていた事もあって、仕事終わりに飲みに行く事もあった。

趣味の合う先輩の家に遊びに行ってみたり、その先輩と休日にプライベートで会ってみたり。仕事で一緒に働いているおじさんたちと、バンドを組んでスタジオに入り浸ったりするのも楽しかった。終わってから飲みに行って、ベロンベロンに酔っぱらってまたスタジオに入る。終電の時間までスタジオに入るのは、とても楽しかった。

ボーナスが出ると言われて頑張って働いて、なかなかボーナスが出ないなと思ったらもらったのは寸志ほどの雀の涙。そんな不満が溜まって行き、これも若気の至りと言えば良い訳になってしまうのだが、私は無断で仕事を辞める事にした。

そんな中で楽しかったのか、それとも突き上げる青い衝動を抑えきれなかったのか、帰り道、川を渡り行きつけのたこ焼き屋で醤油たこ焼きを食べに行く途中、周りは民家も無くトラックが走り回る工業地帯の中、大きな声で

「馬!」

と叫んでいた。自分でも意味がわからないが、一緒に働いていた友達が誘ってくれた競馬で走る、取り留めも無い妄想の中の馬の鳴き声として生まれた言葉だったような気がする。傍から見れば頭のおかしい奴だったのだろうけど、生憎工業地帯にはあまりそれを確認する人も少なく、心置きなく

「馬!」

と叫び続けたのであった(笑)



こんなこともあった。場外馬券場に向かう道すがら、いつものように

「馬!」

と叫んでいたら、前にいたファストフードを買って食べ歩いていた人の、両手に持っていたハンバーガーとドリンクが宙に飛んでいた。突然の

「馬!」

の叫び声に驚いたのだろう。ちゃんとキャッチしたのを見届けたから良かったものの、悪い事をした。隣で友達は爆笑していた。

いつしか歳を重ねて心も落ち着いて来て、叫ぶ事も無くなった。若気の至りではあるけれど、あの馬鹿な自分の叫びを、たまに思い出して懐かしく思う。
おもむろに夜の街に繰り出してみた。自転車に乗って。

もう真夜中なのだけれど、君と別れてから、私の心は毎日毎晩落ち着かないままでいた。

悲しいのかもしれない。その衝動が抑えきれないのかもしれない。だけれども悲しくて涙が溢れ出る程に泣き喚くわけでも無く、私は真夜中あてどもなく自転車で走り回る事を選んだ。

人も車も少なくなった車道を走り回るのは気持ちが良い。気が付けば君の家の近くまで来てしまっていたけれど、君の家はスルーして、目的地を決めずに走り回る。

それは心の整理を付ける為のなのかもしれない。君を忘れる為なのかもしれない。時に私は走り回りながら歌ったり、シャッターの閉まった商店街を眺めてみたり。お腹が空けばラーメン屋に飛び込んで食べてみたり。ちょっと自分でも何をやってるのか良くわからなかったけど、何だか楽しくなって自分が笑顔になっている事に気付いた。

いや、滑稽な自分が可笑しかっただけなのかもしれない。

知らない街に出る事もあった。寒ければ息も白くなり、それをしばらく眺めてから暖かい缶コーヒーを飲んで、公園のベンチでゆっくり君との時間を思い返してみたり。警察官に呼び止められることもあったけれど、その会話すら楽しんでいるように自分で思えた。

笑いながら涙が出て来る。ああ、やっぱり私、君と別れて悲しいのかなと思ったりするけど、もしかしたら寒さが目に染みただけなのかもしれなくて、どっちが本当なのかは自分でもわからなかった。

そんな寒い中をしばらく自転車で走り回っていると、身体の芯まで冷え切って来て、突然、帰ろうかなと思う。今私はどこにいるのかすらわからないけれど、大きな道に出れば大体の帰り道はわかるだろう。道はどこまでも繋がっているのだから。

帰り道をゆっくりと楽しんで、家へと辿り着く。朝はまだ来ない時間。家族も、そしてみんなも深く深く眠っている事だろう。草木も眠る丑三つ時なんて言うけれど、真夜中の徘徊は、私だけの時間。誰にも邪魔されないから、とても好きだった。

自分の部屋に戻ると、着替えてからシャワーを浴びたりして、それでもまだ冷え切っている身体を横たえて、布団の中へと潜り込む。布団の中は暖かいはずなのだが、毛布と掛け布団にくるまっていても、足の指先まで冷え切っているのがわかる。もちろん脳も冷え切っているので、心はスッキリとしていて、気持ち良かった。

目の冴えた自分を落ち着かせて、眠りに就く。
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