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完全フィクション
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「またか・・・」

もううんざりしていた。
暗闇の中で目が覚めて、明かりをつけると予想通りの光景。

「いい加減にして欲しいなぁ・・・」

とつぶやいては見たものの、多分この惨劇は俺がやったものだ。

「多分」というのは、俺にはその時の記憶が全くない。
だから確証が持てない。

「明日捨てに行くか・・・」


記憶がなくなるようになったのは、物心ついてすぐだった。

しかし、俺は生まれつきどこか冷めていたせいか、
『どーせ話しても信じてもらえねーだろ』と思い、
子供の頃から、記憶がない時間帯の出来事を
口八丁で辻褄を合わせていた。

バレないようにバレないようにと努めているうちに、自然と1人でいることが多くなった。
そんな人生を送ってきているのだから、もちろん深い友達がいない。

淋しいと言うほどのことではないのだが、なんとなく夜中たまに外に出て散歩をする。
そんな時に記憶がなくなるようになり、いつの間にかこの惨劇が日常となっていた。

「しかし我ながらうまいことやるなぁ。」

証拠となるような状況が残されていないのだろう。
誰に疑われたこともなく、もう10年になる。

「時効になる前に自首した方がいいかな。なんだか申し訳ないし。」

そういって、とりあえず目の前の死体に視線を落とす。
重そうだ。いつも通り、手首から手が切り離されている。

「この手を忘れないように捨てないと。裏山ももういっぱいだ。
たまに友達も来るから、明日の真夜中には行かなきゃな。」

そう言いながら、慣れた手つきで死体を丁寧にビニールでくるんだ。
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社長が突然亡くなった。

そこそこの規模である、ウチの会社を引っ張ってきた社長の経営手腕は、
同業者の別会社の社長からも評価されていた。
それだけに、突然の訃報でありながらも、葬儀にはたくさんの人たちが訪れた。

僕はただの平社員だったが、下っ端から見ても社長は凄いヤリ手だな、と思っていた。
当然僕も葬儀に参加した。皆口々に「惜しい人を亡くした」とつぶやき、
それが嘘でないことは一様にして読み取れた。

・・・しかし、ちょっとした違和感に気付いた。

訪れている人は、皆悲しんではいるのだが、泣いていない。
もちろん、僕もだ。家族ですら涙を浮かべはしているものの、
何だか冷静ですらあった。奥さんも同様だ。

「おじさんの会社の人ですか?」

1人の青年が話しかけてきた。・・・知らない顔だ。おじさん?社長の甥なのか?

「あ、いきなりビックリしますよね。すいません。
僕はおじさん・・・亡くなった社長の息子のいとこです。」

「ああ・・・このたびはどうも、惜しい方を亡くされて・・・。」

「会社の方ですか?」

「ええ。」

「不思議に思っていたでしょう?今。葬儀にしては皆が悲しんでいないな、と。」

・・・なんだ?心でも読めるのか?
驚いて呆気に取られていると、青年は言葉を続けた。

「伯父は、誰に対しても自分を優位に持っていこうとする人でした。
ここに参列している人の半分以上は・・・いや、もっとかな。
伯父を尊敬していながらも、常に自分を優位に持っていこうとし、
人を見下したような態度に嫌悪を示していたと思います・・・。」

青年は、葬儀を見つめながら言葉を続ける。

「その蓄積が、この葬儀の違和感の答えだと思いますよ。」

反論するつもりはなかった。家族のほうがはるかに僕よりも身近に接しているだろうし、
社長であるからには、そういった威厳と言うのも必要になってくるだろう。
事実、その社長の態度を疎んでいた人間は少なくはないはずだ・・・それが、家族であっても。

「別に伯父が間違っていたというつもりではありません。
ただ、伯父の態度からこういった状況を生み出しているとしたら、
本人が原因とはいえ、寂しいですね。誰に対しても優位に立とうとしていましたから・・・
それが自分の会社をここまで大きくしたんでしょうけど。」

言葉がなかった。僕も別に社長が嫌いなわけではない。
かといって、甥である彼の言葉を遮ったり、否定したりする理由が見つからなかった。

「そんなことを考えると、天はそう簡単に二物を与えないんだなぁと思いましたよ。」

そう、誰ともなく苦笑する彼の言葉は、葬儀中の夜空に消えていった。

未成年の間、夢の中にだけ出てくる幼なじみがいた。

その幼なじみはいろんな夢に登場するんだけど、
現実には存在していない、不思議な存在。

破天荒な夢から、まともな夢までジャンルを問わず
主要人物として夢に出てくる。

成人してからは「彼」が出てくることはないのだが、
(夢自体そんなに見なくなったし)何だか実在しないのに
「あいつ元気かなぁ」とか考えてしまう時もあるぐらいに、
自分の中では馴染みのある存在だった。

しかも俺と一緒に歳をとっていたので、
きっと今頃「彼」も同じぐらい大人になっていることだろう。

夢の世界で、元気でやっているといいのだが。

人生で二度ほど、どこからともなく聞こえてくる、とても美しい声を聴いたことがある。

それが何を言っているのかはわからない。
でもその内容を知ってしまってはいけないような気がする。

その声は間違いなく女性の声だ。しかも何の脈絡もなく突然聞こえて来る。

一度目は、目の前で交通事故が起きた時だ。
歩道を歩いていたら、その美声がどこからともなく聞こえて、
真横で乗用車が人を撥ねた。その後の被害者の安否はわからないが、
あの出血量だとまず助からないだろうと思った。

二度目は、歩道橋を登っている時に、真下の大きな交差点で交通事故が起きた。
美声が聞こえて来て、あれ?どこかで聞いた声だなと振り向いた矢先だった。
トラックが人を撥ねた。ドン!と物凄い音がして、被害者は宙を舞った。

もし助かっていないのなら、御冥福を祈るばかりだ。
しかし一体あの美声はなんなんだろう?
突然聞こえてくるから、本当に聞き取れない。
その内容が聞き取れたら謎が解ける気がするのだが。

謎を解きたいという気持ちよりも、もう二度と聞こえてくるなという
気持ちのほうが大きい。誰もあんな光景は何度も見たくないからな。
ああ・・・そうだよ。子供の頃もこの音楽を聴くと気持ちが落ち着いたんだ。

宮廷の食事会に流れるかのような水流のように美しいメロディ。
両親が死んでからも僕は興奮したり心身ともに疲れ果てると、
この曲を聴いて癒されて来た。

いつの日か、平和な毎日のなかでこの曲を聴けるように願ってた。
モーツァルトが作ったってことしか知らないし、演奏会とかで聴いたこともないが、
まぎれもなく僕はこの曲の大ファンだ。

今、こうしてこの場所でイヤホンでこの曲を聴いてるのも、
気持ちを落ち着ける為だ。

どうしてこんなことになってしまったんだろう。
何も覚えていない。何でこんな場所にいるんだろう。

この曲とは裏腹に目の前に広がる光景に茫然自失になりながらも、
じわじわ来る逃れられない現実に気が遠くなりそうだ。

いや・・・間違いなく、あと少しの間に、僕の気は遠くなる。
それぐらいは認識できるさ。












ボクノメニウツルノハ シタイノヤマト カハンシンノナイボクノカラダ


僕の目に映るのは、死体の山と、下半身のない僕の身体。
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1987/01/14
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自己紹介:
夢人に付き合わされた哀れな若輩者
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