完全フィクション
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いつしか、PCが普及し、ネットが広がって行った事によって、顔を隠し、悪口を言う人間が多くなったのだと思う。
それはとても情けない事なのだけれど、いつの間にか現実でもそれが我慢出来なくなって、理不尽なクレームを付けたりするような客も見掛けるようになった。
それは傍から見ていてとてもみっともないもので、そうした事で手に入れられるものなんてどうでも良いものばかりで、そんな物の為に人間の尊厳をかなぐり捨ててまで人を傷付ける事を選ぶのかと悲しくなってくる事もある。
何よりもそうする事を『面白い』と思ってしまっている病気の様な人間がいる。そこには何も得られるものが無く、ただただ空虚な一過性の自己満足だけを満たす為にそうしているのが私には理解出来ない。永遠に続くわけでも無ければ言った側には何の得も無いと言うのに、中毒者の様に繰り返す。時にそれは犯罪にすらなり得る程に悪質なものにもなってしまうと言うのに。
自分が誰かに嫌だと言えない事で命を落とすような人間がいる時代に、言いたい事が言えた方が安全だったり少しだけ良い立場になれるなんて事もあるのかもしれない。しかしそれはもっともっと大きなものを失っている事に気付かず、失い続け、最後には辻褄が合わなくなって、自分のせいなのに他人に憎悪を撒き散らす悪循環に陥ってたりする。そうなるともうその人生は救いようがなくなってしまう。取り戻せるとしても、倍以上の時間が掛かる事だろう。
それ程に無駄な事を何故壊れたおもちゃの様に繰り返すのだろうか。自分の過ちさえもどんなものなのかわからずに、殺した人間が生き返るなどと言う妄想すら、現実と誤認してしまう程に頭にエラーを起こしてしまっていると言う事すら気づかないのだ。恐怖としか言いようが無い。
国が政治が、自分の利益の為だけのものになってしまっている以上は致し方無いとも思えるのだが。幸せや充実、成功からはどんどん遠のいて行ってしまっているのに、それが自分の責任だともわからずに、崩れ落ちて行く様は、とても見れたものでは無い。そこにある種の残酷さを孕んでいる。
そして理不尽に自分の人生が終わっても気付かないのかもしれない。
「どうして自分だけが」
「どうしてこんな目に遭わなければならないのか」
そこまで積み重ねて、積み上げて道を歩いて来たのは自分なのだ。後悔してももう遅い。クレーマーとは、自分の人生を壊す為の職業なのかもしれない。
それはとても情けない事なのだけれど、いつの間にか現実でもそれが我慢出来なくなって、理不尽なクレームを付けたりするような客も見掛けるようになった。
それは傍から見ていてとてもみっともないもので、そうした事で手に入れられるものなんてどうでも良いものばかりで、そんな物の為に人間の尊厳をかなぐり捨ててまで人を傷付ける事を選ぶのかと悲しくなってくる事もある。
何よりもそうする事を『面白い』と思ってしまっている病気の様な人間がいる。そこには何も得られるものが無く、ただただ空虚な一過性の自己満足だけを満たす為にそうしているのが私には理解出来ない。永遠に続くわけでも無ければ言った側には何の得も無いと言うのに、中毒者の様に繰り返す。時にそれは犯罪にすらなり得る程に悪質なものにもなってしまうと言うのに。
自分が誰かに嫌だと言えない事で命を落とすような人間がいる時代に、言いたい事が言えた方が安全だったり少しだけ良い立場になれるなんて事もあるのかもしれない。しかしそれはもっともっと大きなものを失っている事に気付かず、失い続け、最後には辻褄が合わなくなって、自分のせいなのに他人に憎悪を撒き散らす悪循環に陥ってたりする。そうなるともうその人生は救いようがなくなってしまう。取り戻せるとしても、倍以上の時間が掛かる事だろう。
それ程に無駄な事を何故壊れたおもちゃの様に繰り返すのだろうか。自分の過ちさえもどんなものなのかわからずに、殺した人間が生き返るなどと言う妄想すら、現実と誤認してしまう程に頭にエラーを起こしてしまっていると言う事すら気づかないのだ。恐怖としか言いようが無い。
国が政治が、自分の利益の為だけのものになってしまっている以上は致し方無いとも思えるのだが。幸せや充実、成功からはどんどん遠のいて行ってしまっているのに、それが自分の責任だともわからずに、崩れ落ちて行く様は、とても見れたものでは無い。そこにある種の残酷さを孕んでいる。
そして理不尽に自分の人生が終わっても気付かないのかもしれない。
「どうして自分だけが」
「どうしてこんな目に遭わなければならないのか」
そこまで積み重ねて、積み上げて道を歩いて来たのは自分なのだ。後悔してももう遅い。クレーマーとは、自分の人生を壊す為の職業なのかもしれない。
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