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たとえば人の評価を得たとして、本当の自分なのかと問われると、全く以てそれは偏見でしかないし、主観でしかない。その場その時に見えた『私の欠片』であり、それで全てを判断されたくはないが、そこでしか接点の無い人間にはそれしか判断材料が無いのだから、致し方ないと言うおはなしになってくる。

良く好みを語るようなミーハーな文章や女性男性たちの会話の中で、ギャップと言う言葉が出てくる。

「怖そうに見えて実は優しい」

「無趣味だと思ってたけど多趣味だった」

「普通の人だと思ってたのにマニアック」

「優しさだけじゃ…と落胆していたら叱ってくれた」

要するに刺激がほしいと言う事なのだろう。オルタネイティブな性格や資質では飽きてしまうと、自分の事は棚に上げて、のたまう事評論家の如し。

恋愛自体に刺激を求める輩も多いので、こればかりは趣味趣向の性質的に必然なのかもしれない。右へ倣う事を嫌う心こそが、刺激を望んでいるのだと矛盾を内包しつつ自問自答してみたりして。

話が脱線してしまったが、要するにこの文章を読んでくれているあなたがたにとっての感じる『私』は真実でもあり、欠片でしかないと言う事になる。

これはとても面白い事だ。もしかしたら想像されている人格とはまったく違うかもしれないのにそれは現実的な事実、実感として存在している。

一体私はどういう存在なのだろうと考えると哲学的になって、個人的には途端にうさんくさく感じてしまうのも失笑を込めて自嘲気味に吐露しよう。

言葉と言うものはコミュニケーションに必要な道具だが、同時にそこに必ず勘違いが生まれていることを前提として頭の片隅に置いておかねばならない。

そうすれば相手にがっかりする事も無くなれば、「こんな一面もあったんだ」と素直に相手に対する敬意と新たな喜びを生み出す事が出来るのだろうと思う。

そう簡単に偏見を払拭するのは容易では無いが、意外とそれが相手に対する好意への要因となるかもしれないと予測すると、それは非常に重要な事のように思えてくるから不思議だ。

もし興味があるなら、私の、そしてあなたの『欠片』を拾い集めて、パズルのピースのように繋ぎ合わせて見ると良い。ひとつ繋げては全体を眺めて、変化を楽しむのもわびさびがあって良いのかもしれない。決め付けるのは簡単だが見届けて楽しむ事で相手も知れるならこんなに良い事は無いんじゃないかと思う。

良い所だけを見つけるのは難しいけどね。
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