完全フィクション
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人は、左右対称では無いのだが、何となくちゃんと中心があって、左右対称な気がしてしまうのは、無駄な…と言うか細かい部分を省いて見える事に起因しているのかもしれない。
生きて来て面白いな、と思うのは、初めて会った時は外見しか情報が無く、その外見からしか判断する事が出来ない。しかしながらだんだんと相手と会話を交わし、内面を知り、深く付き合っていく事で、初対面の頃とは大概違った面を情報として受け取り、いつの間にかその後から受け取った情報に則した外見に変わって見えているような気がするから面白い。
もちろん服装だって髪型だってしわの数だってきっと毎日変わって行っているんだろうとは思うのだけれど、何となく、初対面の外見だけを見ていた時とは別人のような気がしてならなくなる。それは良い事でもあるし、時に悪い事でもあるのだけれど。
だから可愛いな、とか綺麗だな、とかかっこいいな、とか外見に魅力を感じても、内面がダメだったら全てが台無しになってしまうと思っている。せっかくの美しさや魅力あふれる外見でも、憤怒や嫉妬に彩られると、途端にその色彩はモノクロームとなり、魅力を失ってしまう。
だから外見と内面が魅力的で、私の好みの、それでいて気性の合う相手である事が、一緒にいる為には必要で、理想でありながらも、現実的に判断材料になり得る素材だと思う。
だから私は、落ち着いて、長い時間を掛けて、ゆったりと余裕を持って、友人でも、仲間でも、恋人でも、未来の家族でも、根気よく探す。そしてそれこそが私にとっての、そして人間全体にとっての幸せに辿り着く為の近道なような気がしてならない。
その人は私とは違った人間である事が当たり前で、私を求めてくれるならなお良い。諦めたらそこで試合終了ですよとは良く言ったものだ。何かのスポーツ漫画の先生のセリフだったかな。
そしてその人を見つける事が出来た。もちろん共通言語になる共通項は趣味などで見受けられるけれど、こうして私が横に並ぶと、まさに別人、アシンメトリーが目で見て取れる。
それはそれでとても居心地が良くバランスが良い物で、肩の力を抜いて歩いて行く事が出来る気持ちの良い二人三脚だ。
シンメトリーである事は、芸術的であるのはもちろんのこと、ある種の、人が人と末永く付き合って暮らして行く為の答えなのかもしれないな、とあなたの笑顔を見て思う。
「私の顔に何かついてる?」
付いてるよ、私との幸せの証が。
生きて来て面白いな、と思うのは、初めて会った時は外見しか情報が無く、その外見からしか判断する事が出来ない。しかしながらだんだんと相手と会話を交わし、内面を知り、深く付き合っていく事で、初対面の頃とは大概違った面を情報として受け取り、いつの間にかその後から受け取った情報に則した外見に変わって見えているような気がするから面白い。
もちろん服装だって髪型だってしわの数だってきっと毎日変わって行っているんだろうとは思うのだけれど、何となく、初対面の外見だけを見ていた時とは別人のような気がしてならなくなる。それは良い事でもあるし、時に悪い事でもあるのだけれど。
だから可愛いな、とか綺麗だな、とかかっこいいな、とか外見に魅力を感じても、内面がダメだったら全てが台無しになってしまうと思っている。せっかくの美しさや魅力あふれる外見でも、憤怒や嫉妬に彩られると、途端にその色彩はモノクロームとなり、魅力を失ってしまう。
だから外見と内面が魅力的で、私の好みの、それでいて気性の合う相手である事が、一緒にいる為には必要で、理想でありながらも、現実的に判断材料になり得る素材だと思う。
だから私は、落ち着いて、長い時間を掛けて、ゆったりと余裕を持って、友人でも、仲間でも、恋人でも、未来の家族でも、根気よく探す。そしてそれこそが私にとっての、そして人間全体にとっての幸せに辿り着く為の近道なような気がしてならない。
その人は私とは違った人間である事が当たり前で、私を求めてくれるならなお良い。諦めたらそこで試合終了ですよとは良く言ったものだ。何かのスポーツ漫画の先生のセリフだったかな。
そしてその人を見つける事が出来た。もちろん共通言語になる共通項は趣味などで見受けられるけれど、こうして私が横に並ぶと、まさに別人、アシンメトリーが目で見て取れる。
それはそれでとても居心地が良くバランスが良い物で、肩の力を抜いて歩いて行く事が出来る気持ちの良い二人三脚だ。
シンメトリーである事は、芸術的であるのはもちろんのこと、ある種の、人が人と末永く付き合って暮らして行く為の答えなのかもしれないな、とあなたの笑顔を見て思う。
「私の顔に何かついてる?」
付いてるよ、私との幸せの証が。
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