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完全フィクション
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鬱々とした雨の中、窓際で一人、退屈さに身を任せていた。

この時間は何もない。アンニュイと言えば聞こえはいいが、結局のところ何もする事が無いだけで、かと言って何かする事を見つけようとはしていない。怠惰に時間を過ごしているだけなのだ。

自分自身、そういう過ごし方は悪いとは思っていない。生き急いで何になると言うのか。結局は人類皆自己満足。他人が個人の時間を害する事など絶対に許されないのだ。

人が集まれば、誰かが操作したがる。だがそれは、所詮いつか死んでしまう人間たちの中で、お山の大将を気取って何かをした所で、大したものは何も残らないのだ。自分自身が為すべきと思ったことに没頭して、誰にも迷惑を掛けず、誰も巻き込まずに生きている人間の方がいくらか上等に思える。変わり者は見ていて痛快で美しい。

なんて事を考えていてもこの時間に何か変化を与えられるわけでも無く。退屈を楽しむ事で人生に彩を付けているのだとでも思っていれば、誰にも迷惑を掛けずに生きて行く事が出来る。ただ、最期まで、と言うのはさすがに無理ではある。我が死体を放り出しておくわけにも行かないだろうから、天寿を全うするにしても、誰かしらがその始末を被らなければならないからだ。死んでしまっては別に後の事などどうでも良いとは思うのだが、気にはなる。

「あ~…やんじまったな。」

雨が上がると、何故か何かしなければいけないような気になって、支度をして、外に出る。多分コンビニか何かで何かしら買って、結局家に戻る事になるのだろうけれど。それこそ途中で車にでも轢かれない限りは、日常は続いていく。

誰にも邪魔をされないのであれば、それこそがささやかな幸せなのだろうと思う。異論を唱えるのは一向に構わないが、俺のいない所で勝手にやってくれ。何しろ面白い事や自分の時間を邪魔されるのが何よりも嫌いだからな。誰かの邪魔などしないから、俺の邪魔もさせない。ごくごく当たり前の事だ。何も問題は無いだろう。

人は人と関わりたがり、誰かの時間を食い潰そうと躍起になっている。それは見ていて本当に邪魔だなあと思うし、そういう人間たちはそういう人間だけで勝手にやっていればいいと思う。害するなら害されることも当然覚悟してでの事だよな?と答えを待たずにこちらも平気で邪魔をする事だろう。自分が大丈夫で他人はダメなんて理屈は通らない。エゴで生きて行く事は出来ないのだから。

ただ静かでいたい。
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台の上の球突きに興じていても退屈を感じてしまう今日この頃。

女子の入ったプールの水を本当に飲みたいなんて人がいるのかなあなんてぼんやりと考えながら

「あ、でも塩素が入ってるから健康上は大丈夫なのだろうか。」

と呟いてみたりする。あまり塩素の強い水と言うのも何だか物凄く身体に悪そうな気がしてならないがその辺は頭の中と自分の違和感をスルーして口笛なんて吹いてみる事にした。

所が唇が乾燥しているからか上手く吹けないので、リップクリームを塗ってからなんだこれは水分では無いじゃあないかと、なんとなく自分のしたことがオカマかゲイの仕草である様な気がして個人的に気味が悪いと苦笑自嘲しながらも、何よりも私の容姿は中性的とは程遠い、かと言って中世の騎士、そして騎士道精神とはこれまた程遠いのでは無いかと自分を鑑みてはため息を吐くばかりであった。

初夏だと言うのに真夏日が続いたり雨が続いたり、なんだじゃあ梅雨かと考えるとそうでも無いらしく、天気予報の番組では梅雨入りでは無いと全否定されながらも、毎年事後承諾で嘘を吐かれていたなそう言えばと、見た目で選ばれたようなお天気キャスターが映る画面に白い歯を剥いてみるが相手に伝わる事も無いだろう。

だから安心して牙を剥こう。今この場に知人家族がいたら大丈夫かと心配されそうではあるが、何分この時間帯は孤独の予定なのである。別に寂しさも感じないが退屈は感じている。

コップに氷を入れて新しく発売されたサヰダアなんぞを注いでみると、そういえば先刻のプールを炭酸や氷で満たしてみたらどうなるであろうかと妄想を巡らせる。炭酸はマッサージのような効果を得られそうではあるが、氷は間違いなく風邪を引いてしまうだろう。

それではサヰダアで満たせばいいと頭に電球を飛ばしてみるも、砂糖が入っているのだ、べとべとで気持ち悪くて仕方が無いだろうと、なぜか自分でもわからない落胆ぶりに少し可笑しくなってみた。

カランとコップが氷の溶けた合図をくれたので、頃合いかと冷やして無かったはずのサヰダアを一気に喉へと流し込む。快感だ。炭酸の刺激が喉を取り過ぎて、暑さと湿気で不快だった脳内にそよ風を吹かせてくれる。

「液体なのになあ。」

喉を通すにしても中に入るにしても水分は空気中に混ざらなければ快適な時間を与えてくれるものなのだなと感心する。何しろ生物には無くてはならないものなのだから。だったら空気中でも頑張れ。
たとえば人の評価を得たとして、本当の自分なのかと問われると、全く以てそれは偏見でしかないし、主観でしかない。その場その時に見えた『私の欠片』であり、それで全てを判断されたくはないが、そこでしか接点の無い人間にはそれしか判断材料が無いのだから、致し方ないと言うおはなしになってくる。

良く好みを語るようなミーハーな文章や女性男性たちの会話の中で、ギャップと言う言葉が出てくる。

「怖そうに見えて実は優しい」

「無趣味だと思ってたけど多趣味だった」

「普通の人だと思ってたのにマニアック」

「優しさだけじゃ…と落胆していたら叱ってくれた」

要するに刺激がほしいと言う事なのだろう。オルタネイティブな性格や資質では飽きてしまうと、自分の事は棚に上げて、のたまう事評論家の如し。

恋愛自体に刺激を求める輩も多いので、こればかりは趣味趣向の性質的に必然なのかもしれない。右へ倣う事を嫌う心こそが、刺激を望んでいるのだと矛盾を内包しつつ自問自答してみたりして。

話が脱線してしまったが、要するにこの文章を読んでくれているあなたがたにとっての感じる『私』は真実でもあり、欠片でしかないと言う事になる。

これはとても面白い事だ。もしかしたら想像されている人格とはまったく違うかもしれないのにそれは現実的な事実、実感として存在している。

一体私はどういう存在なのだろうと考えると哲学的になって、個人的には途端にうさんくさく感じてしまうのも失笑を込めて自嘲気味に吐露しよう。

言葉と言うものはコミュニケーションに必要な道具だが、同時にそこに必ず勘違いが生まれていることを前提として頭の片隅に置いておかねばならない。

そうすれば相手にがっかりする事も無くなれば、「こんな一面もあったんだ」と素直に相手に対する敬意と新たな喜びを生み出す事が出来るのだろうと思う。

そう簡単に偏見を払拭するのは容易では無いが、意外とそれが相手に対する好意への要因となるかもしれないと予測すると、それは非常に重要な事のように思えてくるから不思議だ。

もし興味があるなら、私の、そしてあなたの『欠片』を拾い集めて、パズルのピースのように繋ぎ合わせて見ると良い。ひとつ繋げては全体を眺めて、変化を楽しむのもわびさびがあって良いのかもしれない。決め付けるのは簡単だが見届けて楽しむ事で相手も知れるならこんなに良い事は無いんじゃないかと思う。

良い所だけを見つけるのは難しいけどね。
なんだかぬめぬめぬらぬらとした部屋の中で、なんだ冷房も効かないのかと一人舌打ちしてみたが、どうやら湿度と言う奴が関係しているらしく、空気中の水分が多いと言う事であると知ったのは、大人になってしばらくしてからの事だった。つまり最近の事なのだ。

わからない事を読み飛ばしてきた自分には、わからない事はわからないままにして来たのでこういう事が多々あるのだ。何よりも知識なんてものは知っているものは知っている、知らないものは知らないと素直に言ってしまった方が良いと思うのだがそういう相手がいない場合はその必要性さえなくなるであろう事は薄々感じていた。事実なのに。薄々って。

本を読むのが好きだがわからない漢字はわからないまま読み飛ばして、全体のインスピレーションから何気なく雰囲気を掴み取ると言う、国語力を無視してるのか訓練して育てているのかわからない、いやそもそもその掴んだものさえ指先からすり抜けるような、なんだかこの表現何かの歌にあったな、とか思いながらも本当にそういう内容なのかもわからずに駄読をむさぼり続けているだけなのかもしれない。

誰が何を書こうとも読者たる姿勢からして優劣など付けるつもりは無い。これが高尚だとか、あれは駄作だとか、おかしな話である。結局は自分の好みの上で順位を付けているだけなのだから、手法も主題も違えば、種類自体が違うのだから優劣などつけようはずもないのだ。だから近い趣味の評論家の話を参考に、次読む作品を選ぶ選別作業はとても楽しい。自我は無いのかとお叱りを受けるのかもしれないが、そんなことしている暇があったらひとつでも多くの作品を読む時間が惜しい。ご勘弁願いたい。

もちろん書き手の伝えたい事とはまるで違う捉え方をしている可能性は無きにしもあらずなのだが、それでも涙する事も、腹が捩れるほど笑い転げる事だってあるのだ。それが諸君と同じ感性かどうかは、元々無学な自分には知る由も無いが。

何より諸君と顔を合わせる事など、未来永劫、永久に来ないであろう。なぜなら人に時間を何よりも愛する人間に。『こみゅにけえしょん』などと言う不可解な接続は全く以て不要であるからだ。

もしもそれが適うとしたら、こうして駄文を綴りそれを諸君が読み解く時だけであろう。先に断わっておこう。無駄な時間を過ごさせてしまって済まない。今の自分にはこういったとりとめのないスタイルが何よりもあっているのだ。謝罪。
何が楽しいのかはわからないが自分はここ数年意味の無い事を繰り返していた。

言うなれば自己満足でしか無くそれでも別に働きたくないと言うわけでは無いのでそこそこ金になる単純作業に従事して日銭を稼いで口に糊をするような生活を続けていながらも、j自己満足を満たすと言う事はそれはいわゆる世間一般で言われる幸せと言うやつじゃあないかと、酒をあおりながらにやりとしてみたりするのであった。

月夜の晩にはぼうっと空を眺めて、何も考えないと言うのは難しいようで実は簡単であるように思えたり、浮かんでは消えるとりとめのない繋がらない連想ゲームにただただ舌鼓を脳内で打ちながらやはりニヤニヤと毎日を過ごしていた。

傍から見たら気が狂っているとしか言いようのない笑顔であったから、顔を知っているものは大層心配した事であろうと余計な心配をしていたがさすがは知人と言う事でよくよくわたくしの事を理解して

「ああ、いつものアレか」

と通りすがりに呟いてみたり、はたまた脳内でそうしてみたりと言う動作を事後報告でわざわざわたくしに伝えてみたりと言うそれもまた何の意味も無い自己満足であろうなあと考える所作をわたくしの為に、そして自分の為にしてくれるのであった。

梶井しであってもレモンを本の塔の上に乗せて爆発を試みると言う暴挙に出た事があるばかりか、何よりもわざわざ自分の愚行を文章にして後世にまで遺してしまっているのだから、凡人たるわたくしめがそのような愚行を、自己満足を行っても何ら問題は無いのではなかろうかと誰とも無くうそぶいてみる。

さあさあただの自己満足ともなれば俺は自由だ、何をしようと何も誰にも迷惑をかける事は無い、ともすれば気付かれる事すらない毎日に花を添える妄想よりも現実的な、無限に広がる愚行の数々を実行しようではないかと賛同者もいないのに心の中でシュプレヒコール。

たまに知人が様子を見に来てくれる事もあるだろうが、その時のわたくしめは俺は僕は特にこれと言っておもてなしを出来るような余裕は無い。陽の水のようにただただ

「御免。」

と繰り返すばかりで、知人の苦笑を誘い、それは会話にもならないのに完結する、いわばわたくしと知人の心の会話なのでは無いかと、そんなくだらない事でも自己満足してみたりしてお花畑の脳内で高らかにラッパをかき鳴らすのだ。それはまるで終末を迎えた形の無い天使のような面持ちで薄笑いを浮かべよう。

私は幸せだ。
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