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完全フィクション
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今日も今日とて、手首を刃物で切っている。
 
もちろん、切り落とすなんて事はするわけでも無く、うっすら血管なり肉なり肌なりが切れれば何でもいい。生きていることを確かめる為に、何てご大層な事も言わない。言い訳はしたくない。私はただ、生きていると言う生命の不思議を、何度も味わっているだけの話。
 
正直、死にたくも無ければ長生きしたいとも思っていない。もちろん、私以外の人が私と同じことをやっていたら全力で止めるし、絶対に同じ事をやって欲しくない。全力で止めるし、それは間違いだと説き伏せて説教もするだろう。
 
でも、自分の中の好奇心は止める事が出来ない。毎回心地良い何かを感じてしまっているし、きっと私の頭のネジはどこか飛んでいってしまってるのだと自分でも認識している。自覚と言えるかどうかはわからないけれど、きっと私は精神的な部分で何か欠陥のある病気なんだろうと思っている。
 
生命は大事だと思うし、軽率に扱うものではない。だからこそ、私以外の同じ行為は絶対に許せないと思う。理不尽かもしれないけれど、それが真理で、私の中の正論として確立している。
 
いつかはやめなければと思ってはいるものの、中毒になってしまっているのか、なかなかやめれないでいる。でも今の所誰かに話したことも、特に誰かに見せた事も無いから、私がこんなことをしているなんて誰も思っていないと思っている。それほど普段の私に病的な何かや暗いイメージが無いと、常日頃から言われているから。
 
人の誘いには絶対に断らずに乗っていくし、友達もたくさんいる。でもこれだけはやめられない。何でだろう。私にもわからないけれど、私は、そういう人間なのだと思う。
 
いつか誰かに知られた時に、私を全力で止めてくれるだろうけど、私はその時どうするかな。拒否するだろうか。受け入れるだろうか。何事も無かったようにやめる事が出来るのだろうか。
 
見つかって止められる事の想像がまず出来ないから、自分でもどうするかわからない。全く持って私は面倒な人間なのだなの自分でも思う。それでもやめられないのだから、私はきっと本当の意味で自分を理解してはいないのかもしれない。
 
傷跡に包帯を巻きながら、日課を終えて思慮を巡らせた後、何となく疲れてしまって、眠りに付くのであった。
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ああ、そういえばもう夏なんだな。
 
クーラーの効いた部屋でそんなことをぼんやり考えていると、何の予定も無いこの週末に、怠惰にも床に、そしてベッドに、身体の位置を直しながら寝そべる姿に、何とも滑稽な苦笑と、自虐的な思いが頭の中を掠めては通り過ぎた。
 
もう少しすれば、この暑さも本格的に人々を苦しめる事になる。でもそれは同時に人々の喜びにもなったりするから、主観と言うものもどうにも滑稽で、それでいて日常に有り触れた不思議さを内包しているなあと、溢れ出ては消えていく思考の中に続けていった。
 
海やプールに行こうとも思わなくなり、『やっぱり家が一番ね』と言う、旅行帰りの母親のような思考展開が、怠惰なごろ寝に拍車をかける。
 
腹が減る事も無いのに、時間が来れば申し訳ない程度の食事を取って、思い付いたように運動してみたり、気が済めばまた睡眠では無い形で横たわってみる。
 
冷蔵庫にはスイカだの、麦茶だの、定番の夏の飲食を彩るものが入っているし、茶箪笥を開ければ乾物のそうめんが、まだ三束残っていたと思うが、今はただ、何もしたくない。
 
平日になればまた仕事が待っているし、特に驚きも新鮮さも無い毎日が待っているのだと思うと、ここで休まなければ、いつ休むんだよと、自問自答を繰り返しては虚空に消えていくのだ。
 
はあ、とため息も出て来ない。なぜならこの退屈が私にとって幸せに他ならないからだ。本当の幸せとは、当たり前の、日常に有り触れたささやかなものだと、常日頃思っている。例えば、私の日常を作品として形にするとしたら、これほどつまらないものも無いんじゃあないかとすら思えてくる。
 
それが悔しいとも悲しいとも私は思わないけれど。大半の人間は、凡人で、主人公で。真新しいことなどとうに経験しつくしてしまって、後は初体験の繰り返しなのだと、私は思う。
 
たまに神様が思い出したように、(別に私は特定の信教を持っているわけでもないが、)人生の大事件を巻き起こす事はあるけれど、終わってしまえば、大概が大したことは無かったと、笑って済ませられるようになる。
 
だからこそ、この何も無い不変の時間こそが、幸せなのだと、確信を持って思う。もちろん何か新しい事を経験したいと言う欲求が枯れ果てているわけでもないし、未だに何か面白い未経験のものがあれば、体験してみたりもしている。
 
でもそれは平和な日常ありきと思っているので、平穏が無ければ、刺激も楽しめないと思うのである。あーだこーだ考えてはみたものの、単純に、この退屈な時間が好きなのだ。私は。
昔、よく読んでいた小説を開いて、別に読むわけでもなくペラペラとページをめくってみる。

心の中に内容は入って来ていない。現状が暇だからだろうか。

何をしたいわけでもない。でも何一つ不満は無い。

少しづつ、少しづつ、組み立て直して。

過去も笑えるようになって。

上から塗りつぶし直していくんだね。

それが私の人生。

何一つ思い通りになんてなってないし、

昔思い描いていた未来とは全てが違うけれど。

受け入れよう。

それが私の人生なのだから。

大層な事を考えている様で、

実は誰もがいつでも思うような事を考えて、

眠気が訪れたら欲望に身を任せる。

そんな日常の中に幸せを見出していた。
もしかした私死ぬのかなあ

そう思ったらなんだか涙が出てきそうだったので外を見ていた。

カーテンが閉まっているが私は点滴をしていてあまり動けないので隙間から覗いてみる。

青い空が広がってるみたい。

なんでこんなにも狭い隙間から空の広がりが見えるんだろう。

あーくそっ、羨ましいなあ。

元気な時は考えてなかったけど、ここから見えるあの空の下で何も考えずに歩き回りたいものだよ。

曇りでも雨でもましてや傘が無くったって自由に動けるとは何て素晴らしい事なのだろう。

当たり前のことを当たり前と思っている間は気づかないものだ。

それに、死ぬのだって誰にでも訪れる最後の時。

怖くなんて無いけれど動けなくなって苦しくって痛くって。

そんな状態になったらやっぱり死にたくないって考えちゃうのかなあ。

死ぬ事よりも痛いことや苦しいことが嫌だけれども。

早く外に出たいなあ。自由に動き回りたい。

いまはただ、それだけでいい。

でも動けるようになったらまた忘れちゃうのかなあ。

それはそれでなんだか悲しいことだね。

出来れば忘れないようにしよう。
「YO!YO!チェケラッチョ!

ナニオマエオレノコトディスッテンノー

キュッキュッ!

ズンタンズズタンズンズタンズズタン

ゴンヌズバー

YO!YO!チェケラッチョ!」

「・・・・。」


「妹よ。これがラッp「」絶対違う」
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1987/01/14
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自己紹介:
夢人に付き合わされた哀れな若輩者
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